小国日帰り旅行(馬刺し〜北里柴三郎記念館)

馬刺し


六日前くらいに小国に行った。(熊本の。)







熊本って自然がたくさんあるねえ。




何で行ったかっていうと、ひできちゃんおすすめのおいしい“馬刺し”を食べにです。









この写真で¥1000だった。う〜、高いのかなあ(・・*)ゞ
















でも、あじは、       「めちゃ馬!!(゚д゚)メチャウマー」          だった。

















その為だけに片道3時間かけて来たわけさ。







あっという間に食べ終わり(*~ρ~)ゞプハー、目的を果たした私達は他にぶらぶらしようという事になった。
































車でぶらぶらドライブしていると、標識に『北里柴三郎記念館』が!!!


















「ちょっとまったあ!(☉д⊙) 」

















と、ゆーことで私の大・大大尊敬する北里柴三郎記念館へ行く事になった。


















だけど、着いた時には17:10で、記念館は17:00までで閉まっていた。ΣΣ┗(|||`□´|||;;)┛ガーン!!

















はああああああ・・・・・・・・・。o(´`)o















ショックだったけど、北里さんの記念館がここにあるということを知る事が出来ただけでも満足だよわたしゃ・・。








と思い、北里さんとお別れした。





肥後国北里村(現・熊本県阿蘇郡小国町)に代々総庄屋を務める家に生まれる。
1894年、日本政府により調査派遣された香港で、感染症である腺ペストの病原菌を共同発見したことで知られている。ほぼ同時に、アレクサンダー・イェルサンもペスト菌を発見した。


地元の熊本医学校と東京帝国大学医学部で教育を受け、卒業後は内務省衛生局に奉職した。
その後1885年から1891年の間、ドイツでロベルト・コッホに師事する。
そしてエミール・フォン・ベーリングと共に1889年、世界で最初に破傷風菌の純粋培養に成功(すなわち嫌気性細菌の培養に成功)。
また翌1890年にはジフテリア炭疽菌に対する抗毒素を開発する。この時ベーリングと共にジフテリアの血清療法を発表し、その功績により1901年の第1回ノーベル賞候補となるが、北里は黄色人種であるという理由から受賞候補から外され、べーリングのみがノーベル生理学・医学賞を受賞した。<<